つけ麺の生みの親、山岸一雄さん、キヤノン御手洗氏と腕相撲した日も

 2015年4月1日、80歳で亡くなった、超人気ラーメン店、東池袋「大勝軒」の創業者、山岸一雄さん。訃報を受けた常連客が、東池袋にある同店に"追悼の1杯"を求めて長蛇の列をなしたことも話題となりました。

 ラーメン業界に多大な影響を与えた山岸さんは"つけ麺の生みの親"とも呼ばれ、その半生は、「ラーメンより大切なもの〜東池袋大勝軒50年の秘密」というドキュメンタリー映画にもなったほど。

 山岸さんの著書『東池袋 大勝軒 心の味』によれば、山岸さんをラーメン業界へ導いたのは、10歳年長の母方の従兄弟、坂口正安さん。山岸さんが「兄貴」と慕う坂口さんは、当時、阿佐ヶ谷のラーメン店「栄楽」(「丸長」グループ)で働いており、独立を視野に入れて「一緒に店をやらないか」と山岸さんを誘ったそうです。

 やがて山岸さんは、坂口さんが開業した中野「大勝軒」の厨房を任されるようになります。そして、1955年、同店の新メニューとして山岸さんが売り出したメニューこそ、つけ麺のルーツ「特製もりそば」だったのです。実は、同メニューは、もともとラーメン職人が内輪で食べていた「賄い」。ザルに残った麺を取って置き、湯呑にスープを入れて、ざるそば風に作って食べている様子を見かけた常連客から「美味しそう」「食べてみたい」という声が相次ぎ、同店のメニューに加えたそうです。

 山岸さんが、自分の店となる東池袋「大勝軒」をオープンしたのは1961年のこと。その陰の功労者と言えるのが、山岸さんを献身的に支えた、妻の二三子さん。山岸さんと同い年の二三子さんは、母方の従姉妹に当たる関係で、開店の約1年前に結婚。1974年に山岸さんが静脈瘤で動けなくなってからは、夫に代わって厨房に立ちました。しかし、1986年に、二三子さんが病気で急死。最愛の伴侶を失い、茫然となっていた山岸さんに、生きる気力を与えたのは、常連客から張り紙にびっしり書き込まれた「また美味しいラーメンを食べさせて」「再開を楽しみにしています」という励ましのメッセージでした。

 中野「大勝軒」の常連客には、なんと、キヤノンの会長兼社長で、日本経済団体連合会の2代目会長(現在、名誉会長)の御手洗富士夫さんもいました。御手洗さんは大学時代、毎日のように中野「大勝軒」に通い、山岸さんと腕相撲に興じたこともあったのだとか。あるとき、山岸さんがテレビに出ているのを見て、秘書を通じて連絡し、40年ぶりに同店に食べに来てくれたと、本書で明かしています。

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